go away

 これは金谷のおきせさんが一旦世帯を堀田原へ移して一人でいましたが、まだそうお婆さんになったというではなく、再縁のはなしが出て或る家へ嫁入りすることになったので、したがってお悦さんが一人になること故、この方は蔵前の師匠の方へ手伝いがてら一緒になるということになり、堀田原の家が明(あ)くによって、師匠は私に其家(それ)へ来てくれてはどうだという。私の方も堀田原へ移れば家もこれまでよりは手広になるし、通う道程(みちのり)も四分の一位になって都合もよいので、師匠の意のままに堀田原へ全部移転したのであった。
 私に取って思い出の多かった源空寺門前の家とは、これで縁が切れたことになるのです。

「そうですか。あなたが、あの不動さまを拝むというのならあなたに差し上げましょう。実をいうと、あれは広小路の夜店で八銭で買ったのです、値は八銭であっても、作は凡作でない。どんな大きな不動を作るにも立派に参考になると思って私は買ったのですが、あなたがそんなに御執心なら差し上げます。しかし、なくなさないようにして下さい。私が参考にしたい時はまた借して下さい」
 こういうことで、右の不動様を後藤君に進呈しました。後藤君は大いによろこび、それを自分の守り本尊として持っていたのでした。おかしいことには、よほど後藤君もあの不動が欲しかったか、ちょっと私へたのむのに細工をしたことが後で分って笑いましたが、実は後藤君は酉年ではなくて、戌年(いぬどし)であったのでした。

 笑談(じょうだん)半分に私はいい出しました。皆が妙な顔をして私の顔を見ているのは、一体、大仏をこしらえてどうするのかという顔つきです。で、私は勢い大仏の趣向を説明してみねばなりません。
「大きな大仏をこしらえるというのは、大仏を作って見物を胎内へ入れる趣向なんです。どのみち何をやるにしても小屋をこしらえなくてはならないが、その小屋を大仏の形でこしらえて、大仏を招きに使うというのが思いつきなんです。大仏の姿が屋根にもかこいにもなるが、内側では胎内潜(くぐ)りの仕掛けにして膝の方から登って行くと、左右の脇の下が瓦灯口(がんどうぐち)になっていてここから一度外に出て、印を結んでいる仏様の手の上に人間が出る。